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stereograph

女子中学生の色々

ICC 大きな耳を持ったキツネ 鑑賞

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先日初台ICCにて、無響室での展示作品「大きな耳を持ったキツネ」鑑賞してきました。 evala氏の作品はacoustic bentなどで存じ上げていましたけれども(ここだけの話ジャケットのアレはアレ)、改めて無響室で聞くと、いやすごい聴覚体験だなと。 この作品は2つの録音の中からどちらを聞くか鑑賞者が選べるようになっていて、僕は京都のフィールドレコーディング作品を選択しました。 通常のステレオ録音というものは実は録音という作業を通してある程度抽象化がされているものです。通常人の聴覚というものはこの世界にあふれる微細な音の中からいくつかの音を選択して聴取します、カクテルパーティ効果というやつですね。半分自らの意思で音響情報を減らした上でそれを認知している。 これが録音物になるとまた趣が変わってきて、ステレオ録音の上で情報量が減るわけだけれども、それが自らの意思によってなされたものではないのであるからか、ある種の「聴覚外」の情報があふれてくる。録音した音声を聞き返したときにやたらノイズが多いのは、単にS/N比であるとか録音レベルの問題ではなくて、選択的聴取にある種の不全が起きているからだと僕は考えています。 前置きが長くなった。で、この作品ではフィールドレコーディング素材を使っているということなんだけど、まずこの製作そのものが音についてくる付帯情報の削除、およびその再構成というポイントから始まっている感じがある。 作中に登場する自転車の音や何かのカラカラという音など、すべてが、その音が録音された情景が、付帯情報(たとえばそれは騒がしい街中で録音された…など)が削除されているにもかかわらず、タグなしの音自体(これはたぶん危険な用語だと思う)が配置されることによって、意図的な、あまりにもartificialな京都の情景が再構成されている。で、それらの音が、無響室上で8.1chで再構成されているということは、鑑賞者は音のクラスタの再選択聴取を迫られている。まさしくこれはハイファイによる聴取者のアップデートされた聴覚に切り込んでくるものだと思う。 つまりだ、鑑賞者は異様に精緻化され編集された超低ノイズの音記号群の集合を、暗闇の中8.1chで10分間浴びされることになる。これが!!!どういうことか!!!おわかりですか!!!わからない!!!そうか!!!! 普通水がバチャバチャはじける音が耳元でし続けるとかあり得ないわけじゃないですか。真っ暗闇の中でそのような音響を聞き続けるということは、重力に支配された音響空間からほっぽり出されて具体音というにはあまりに精緻な音の塊を延々と聞くことになるんですよ!!

なんかもう何を書いても無駄なような気がしたので早く行った方がいいと思います